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           1991年 アンダーソンが25年振りに筑波に来日

 アンダーソンは、1966年の最終戦日本GPを最後に引退した。このアンダーソンが、25年振りに来日した。
 筑波でのクラシックレースに出場のためだった。スズキの1960年代のレースチームの人間でも、彼の来日を知っていたのは僅かだったようで、小生も知らされず、ずいぶん後から知ったような状態だった。

   【バイカーズステーション誌92年2月号】

GRAND SLAM FOUR STROKE

 4サイクルエンジンを持つ、シングル、ツイン、ネイキッド、クラシック これらのモーターサイクルのみによって行われる新しいレースが誕生した。
 昨年までのエコー・デ・カトルにかわるこのマニアックなレースの名は グランド・スラム・フォアストロークである。

 1991年11月22-23日 筑波サーキット 主催:ゴールプロジェクト
 
 CR-1/2/3 RESULT


 元ワールドチャンピオンのヒュー・アンダーソンが、別格であることを示したクラシッククラスだった。あまりにテクニックが優れているため、彼の動作は非常にゆっくりと、むしろぎごちなくさえ見えるほどなのだ(なのに圧倒的に速い!)。2位は日本人最速の座にある原トライトンの氏橋。好調だった岩城はリタイア。不調のカスカートは5位に終わった。また、CR3クラスで1分15秒746秒をCB350Fでマークした藤田も注目された。

■1位 H.アンダーソン Seeley G50 14分40秒590 12周
    最速ラップ8/12 1分11秒856 H.アンダーソン
    予選最速タイム 1分13秒010 岩城 滉一

真に国際的になった日本の旧車レース

 CRクラスに参加したこの4人はIHRO(アイロー)のメンバーである。IHROとはInternational Historic Racing Organization(国際ヒストリック・レーシング協会)の略で、ヨーロッパでは最もレベルの高い組織だ。最も有名なレースは、毎年ダッチTT(オランダ)のサポートイベントとして行われているダッチ・ヒストリックTTである。アラン・カスカートの提唱によって1987年に始められたこのレースは、欧州各国で充分に確立した旧車レースを下地に、より過去のGPに近い厳密なレースを行っており、参加できるマシーンも1945〜72年に存在した純レーサーとその正確なレプリカに限られ、ライダーも各国のトップクラスだ。”復活したもうひとつのコンチネンタル・サーカス”とも呼ばれるIHROから日本の旧車レースを急襲したライダーは、左からスウェーデンの元GPライダーのチャーリー・ドブソン、アラン・カスカート、過去4回世界チャンピオンになったニュージーランドの英雄、ヒュー・アンダーソン、そしてIHRO唯一の東洋人メンバーであり、今回、日本で初めてIHROクラスを実現させた安光秀。安氏は1990年から本場のIHROに参加しており、アンダーソンが乗ったシーリーG50(手前)は、彼がイギリスに常駐させて欧州で使っているマシンを日本に持ち込んだものだ。

          


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