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「アルミ・フレ−ム」について

 ホ−ムペ−ジで知り合いになった或る方から、『スズキといえばアルミフレームについての記述が不可欠ですよね。』と言われました。確かにアルミフレームはスズキマシンの大きな特徴の一つです。ですが、私はエンジン設計担当だったため、詳しい資料も記録もありません。アルミフレーム採用の目的は、勿論 重量の軽減ですが、鉄パイプフレ−ムに比べ、何キログラムの重量軽減が出来たのかの資料もありません。鉄パイプフレ−ムと同等の剛性を持たせるため、鉄パイプより太いジュラルミンパイプを使いましたが、相当の重量軽減が出来たと思います。当時はジュラルミンパイプの溶接は一般化された技術でなく、協力会社の「神津製作所」の関嘉之助社長の力添えでやっと完成しました。関社長は、伊豆七島の神津島出身の方です。レ−スグル−プの会合「研三会」にも、ずっと出席していましたが、残念ながら数年前に他界なさいました、

 RK65のジュラルミンフレ−ムが出来て、竜洋で初走行テストしたのは、1965年9月9日と記録が残っています。1965年最後の日本GPに出場のフレ−ムNO K5-51(Anscheidt)・K5-52(Anderson)・K5-53(藤井敏雄)・K5-54(伊藤光夫)・K5-55(市野三千雄) がジュラルミンフレ−ムの初出場です。1966年のフレ−ムはこのフレ−ムをそのまま使いました。1967年のRK67は投影面積を小さくした K7-×× となりました。これもジュラルミンフレ−ムです。

 125ccについては、1966年のRT66から採用しましたが、Anderson・Perris・片山義美には鉄パイプフレ−ムとジュラルミンパイプフレ−ムの両方を準備しました。コ−スにより、またライダ−により、鉄フレ−ムの方がアルミフレ−ムより操縦性が良いとか悪いとかとの意見で、両方を使い分けました。 片山義美は全レ−ス鉄パイプフレ−ムを使いましたが、Andersonは8レ−ス中 5レ−スがアルミフレ−ム、Perrisは8レ−ス中 6レ−スがアルミフレ−ムを使用しました。1967年のRT67U、RS67Uはアルミフレ−ムでした。