ソロ

 ソロとは、いわゆる2輪のモーターサイクルのことを指し、これに対してサイドカーがもうひとつのカテゴリーとしてGPには存在した。1960年代に大活躍を見せたホンダには「サイドカーはやらないのか。やれば絶対に6クラス制覇ができる」という声も多くよせられた。もともとサイドカーのパッセンジャーでGP入賞の経験もあるタベリなども真剣にその構想を相談したこともあったというが、ホンダは結局サイドカーには参戦せず、「ソロ」のみの制覇となった。

 写真は、ヨーロッパに残してきたRCを改造して現地(おそらくイタリアと思われる)が作った速度記録用3輪。サイドカーとは明確に異なるが、他に類をみない強力なマシンとして重宝されていたことが分かる。

そのレース

 1965年世界選手権ロードレース第13戦(最終戦)日本グランプリ。1963年、1964年に続く日本で3回目の2輪グランプリである。開催クラスは、50、125、250、350で、500は開催されなかった。ホンダはこのうち、50cc(ルイジ・タベリ)、250cc(マイク・ヘイルウッド)に優勝。タベリと、350ccでこのレース2位となったジム・レッドマンが年間タイトルを決め、翌1966年の全種目制覇への足掛かりとした。

1965年10月24日

 ホンダF1が初勝利を飾ったこの日、日本の鈴鹿サーキットで2輪の日本GPが行なわれていた。ホンダはそのレースにも勝った。この日は、日本とメキシコで、ホンダが2輪、4輪の世界選手権を同時制覇した記念すべき日になった。このギンザーとホンダの初勝利はメキシコの新聞で報じられ、日本では新聞報道の代わりにレース5日後、三大新聞(朝日・毎日・読売)に全面広告が出された。

 ちなみに、1年前の10月24日は、東京オリンピックの閉会式が行なわれた日だった。

RD05

 ホンダの250cc6気筒に対抗して生み出されたヤマハの新鋭機。2ストロークV型4気筒ロータリーディスクバルブ吸入というハイメカニズムを誇り、ライバルであるRC165の54.3馬力をはるかに凌ぐ65馬力を発揮していたという。実戦投入されたのは1965年9月のイタリアGPからで、その後水冷化されたRD05Aに進化し、ヤマハGP挑戦の後期を華々しく彩る名機となった。

RC115

 1964年の最終戦日本GPにデビューし、翌1965年にホンダに初めての50ccタイトルをもたらした記念すべきマシン。前年型RC114からエンジンのスープアップをはたしたのはもちろん、FRP製タンクの採用。前面投影面積を減少させるためにアップタイプとされたエキゾーストなど、随所に革新的なアレンジが見て取れる。しかしデリケートな面もあって、1965年シーズンはこのRC115と2RC114(RC114の2型)が使い分けられながらレースを戦った。

 それにしても、ボア・ストローク34×27.4mm、クランクピン経13mm、ピストンピン経8.5mm、バルブステム経3.5mm、ピストンリング厚0.6mmなど、驚愕の数値が並ぶエンジンは、ホンダの4ストローク技術のひとつの到達点でもあった。

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