「ホンダ500勝への道」のメニュ−へ

 2002年、世界選手権ロードレースは500ccクラスをMoto GPへと移行し、大幅なレギュレーション変更を実施する。この変革は1949年のグランプリ創設以来最大のものであり、53年にわたるグランプリの歴史は、ここにひとつの大きな区切りを迎えることとなる。

本稿では、これまで…

「Hondaグランプリ初優勝 1961年4月23日 第1戦スペインGP 125ccクラス」
  「日本人/250ccクラス初優勝 1961年5月14日 第2戦西ドイツGP 250ccクラス」
  「マン島TT初優勝 1961年6月12日 第3戦マン島TT 250ccクラス」
  「日本GP初開催/初優勝 1963年11月10日 第12戦日本GP」
  「500ccクラス初優勝 1966年5月22日 第2戦西ドイツGP」
  「GP復帰後初優勝 1982年7月4日 第7戦ベルギーGP 500ccクラス」
  「500ccクラス全156勝の記録 1966年〜2001年」  
…などの、記念すべき勝利にスポットライトをあててきたが、もちろんこれ以外にも記念すべき勝利が数多く刻まれていることは言うまでもない。
 2001年シーズンを終了した時点で、Hondaの通算優勝数は525勝。この中には…
500ccクラス 156勝  
  350ccクラス 35勝 (1982年シーズンまで)
  250ccクラス 177勝  
  125ccクラス 144勝  
  50ccクラス 13勝 (1962年〜1983年まで。1984年に80ccクラスに変更され1989年まで)
…の勝利が含まれている。そこで今回は、これまでに紹介した勝利以外のマイルストーンに注目し、これを抽出してみようと思う。また、525勝の中に刻まれたいくつもの記録にも注目してみたい。

 Hondaが世界GPに挑戦を開始したのは1959年。この時は125ccクラスへの参戦だった。翌1960年には250ccクラスにも参戦を開始し、1961年には125/250cc両クラスで初優勝/初タイトルを獲得することに成功する。

 そして、1962年には50ccクラスと350ccクラスにも進出し、計4クラスへと戦線を拡大した。125、250、350は、順調な戦績を残してシーズンを進むことになり、3クラスともライダー/メーカーチャンピオンを獲得。そして3クラスとも優勝を逃したのはわずか1戦のみという、圧倒的な勝利と言って良い成績を収めている。

 しかし、50ccクラスのレースでHondaは苦戦を強いられ続けた。開設されたばかりのGP最小排気量クラスである50ccは、完全に2ストローク勢のものだった。開幕2戦をクライドラー、続く4戦を連続してスズキ、そしてまたクライドラーが2勝と続き、Hondaは毎戦にわたって入賞を果たすも、2位に2回、3位に3回など、優勝に手が届かぬままシーズン終盤を迎えていた。

 そして迎えた50ccクラスの9戦目フィンランドGP(1962年9月23日)において、Hondaはついにクライドラーとスズキを抑えて1-2フィニッシュによる初優勝を記録するが、この年の優勝はこの1戦のみ。最終戦のアルゼンチンGPは敢えて欠場するという、苦渋のシーズンだった。

 圧倒的な2ストローク勢の勢力を実感したHondaは、翌1963年シーズンの50ccクラスの活動を半ば休止せざるを得なかった。チームの主力を125、250、350ccクラスに結集し、タイトル獲得に全力を傾注したのは言うまでもない。そして1963年のシーズン中、沈黙を守った50ccクラスの最終戦において、Hondaは2気筒マシンを投入。ルイジ・タベリは、予選トップから一度もその座を明け渡すことなくブッチギリの優勝…32秒もの大差をつけてポールtoウィンを達成した。

 そしてこの勝利は、その後のこのクラスにおけるHondaの活躍を予測させるものだった。翌1964年には3勝をマーク。惜しくもタイトルを逃したものの、ライダー/メーカーともランキング2位を獲得し、4ストロークがこのクラスで充分に戦っていけることを力強くしめした。

 そして1965年、Hondaは4ストローク2気筒マシンRC115をもって、ついに念願のライダー/メーカー両タイトルを獲得。それは、50ccクラス初挑戦から4年の歳月を要する、もっとも困難なタイトル獲得でもあった。
 60年代におけるHondaのグランプリ挑戦において、350ccクラスはもっとも順調に、そしてもっとも大きな戦績を残すことが出来たクラスと言えるだろう。

 初挑戦は1962年。初レースこそリタイヤに終わったが、2戦目のダッチTT(1962年6月30日)には早くも初優勝を達成。この年残りのレースすべてを制し、挑戦初年度にしてライダー/メーカーの両タイトルを手中にしている。

 続く1963年も、全7戦中5戦に優勝。勝てなかった2戦でも2位に入り、2年連続でライダー/メーカータイトルを獲得している。そして1964年にはHondaパワーが一気に爆発。350ccクラス全8戦をジム・レッドマンとRC172の最強コンビが圧倒し、パーフェクトウィンを達成するとともに、ライダー/メーカータイトルを連取。

 ライバルもこの勢いを止めることは出来ず、1965年もレッドマンとRC172のコンビは優勝街道を突き進む4連勝を達成。シーズン後半に入ったアルスターGPで転倒負傷し3戦で無得点となるが、最終戦には2位に入賞して見事復帰をはたし、Hondaとレッドマンにとって4年連続のライダー/メーカータイトルを獲得する。

 そして66、67年はマイク・ヘイルウッドがこのクラスのメインライダーとなり、その2年の全19レース中13レースを制してライダー/メーカーの両タイトルを獲得。これによってHondaは、350ccクラスにおいて1962年の初参戦から1967年の撤退までの6年にわたって、ライダー/メーカーの両タイトルを獲得するという、大きな成果をあげることとなる。
 60年代におけるHondaによる各クラスのメーカータイトル獲得数/優勝数/参戦年数は…
500ccクラス メーカータイトル獲得数1回 優勝数10回 参戦2シーズン(1966年〜1967年)
  350ccクラス メーカータイトル獲得数6回 優勝数35回 参戦6シーズン(1962年〜1967年)
  250ccクラス メーカータイトル獲得数5回 優勝数47回 参戦8シーズン(1960年〜1967年)
  125ccクラス メーカータイトル獲得数4回 優勝数33回 参戦8シーズン(1959年〜1966年)
  50ccクラス メーカータイトル獲得数2回 優勝数14回 参戦5シーズン(1962年〜1966年)
…となっており、やはり350ccクラスの成績は、その中で最も成功したものとして挙げることが出来るだろう。 

 グランプリにおける、ワンシーズンの最多優勝記録は、Hondaによる1997年の500ccクラスで、15勝。250ccクラスでは、アプリリア(イタリア)が13勝の記録(1998年)を持ち、Hondaは12勝の記録を2回(1987年、1997年)達成している。125ccクラスではHondaが13勝(1993年)でトップ。

 3クラスを合計した優勝数では、1997年のHondaによる31勝がトップ。この年Hondaは、500ccクラスで15勝の記録を達成し、250ccクラスでは12勝。125ccクラスでも4勝を挙げている。

 グランプリには、連勝記録という「強さの尺度」がある。連勝を続けることは、そのクラスにおける絶対的な評価となるばかりでなく、記録にとどめられてその活躍は高く評価されることになる。

 GPの連勝記録は、グランプリがスタートした1949年から記録されることとなった。125ccクラスにおけるモンディアル(イタリア)は、初年度49年の第1戦から連勝を続け、3年目の51年の最終戦までの10戦連続という記録を打ち立てている。

 そして、このモンディアルの連勝をストップさせたのが、イタリアの雄MVアグスタだった。50年代におけるMVの勢力はまさに圧倒的であり、Hondaをはじめとする日本勢がGPに挑戦を開始するまで、その王国は揺るぎないものだった。そのMVは、500ccクラスにおいて1958年〜1960年にわたって、14連勝という快挙を達成している。群雄が割拠する当時のGPにおいて、この記録はまさに不滅の金字塔と呼ぶに相応しいものだった。

 そのMVの記録を破ったのが、Hondaだった。1961年、250ccクラス第2戦西ドイツGPに優勝したのが、高橋国光。そして250ccクラスにおけるHondaは、この時から偉大な記録に向かって突き進み始めた。1961年シーズンは5人のライダーによって、続く1962年にも4人のライダーによって、連勝記録は伸ばし続けられた。

 1962年第5戦ベルギーGPにおいて、ボブ・マッキンタイヤがHonda250ccクラスの15連勝をマークし、新記録を達成。その連勝は続き、結局19連勝という前人未到の記録を達成することとなる。
1勝 高橋国光 1961年5月14日 西ドイツGP
  2勝   トム・フィリス 1961年5月21日 フランスGP
  3勝   マイク・ヘイルウッド 1961年6月12日 マン島TT
  4勝   マイク・ヘイルウッド 1961年6月24日 ダッチTT
  5勝   ジム・レッドマン 1961年7月2日 ベルギーGP
  6勝   マイク・ヘイルウッド 1961年7月30日 東ドイツGP
  7勝   ボブ・マッキンタイヤ 1961年8月12日 アルスターGP
  8勝   ジム・レッドマン 1961年9月3日 イタリアGP
  9勝   マイク・ヘイルウッド 1961年9月17日 スウェーデンGP
  10勝   トム・フィリス 1961年10月15日 アルゼンチンGP
  11勝   ジム・レッドマン 1962年5月6日 スペインGP
  12勝   ジム・レッドマン 1962年5月13日 フランスGP
  13勝   デレック・ミンター 1962年6月4日 マン島TT
  14勝   ジム・レッドマン 1962年6月30日 ダッチTT
  15勝   ボブ・マッキンタイヤ 1962年7月8日 ベルギーGP
  16勝   ジム・レッドマン 1962年7月15日 西ドイツGP
  17勝   トミー・ロブ 1962年8月11日 アルスターGP
  18勝   ジム・レッドマン 1962年8月19日 東ドイツGP
  19勝   ジム・レッドマン 1962年9月9日 イタリアGP
 

 1961年5月14日から1962年9月9日までの483日間、Hondaは250ccクラスにおいてその牙城を守り続けた。1962年の最終戦であるアルゼンチンGPを欠場したことで、この連勝記録はストップしているが、出走していれば間違いなく優勝を手にしたことだろう。

 この連勝記録はその後6年の間、破られることはなかった。しかし、その記録を破って再び連勝記録のトップに立ったのがMVだった。MVは1968年から1969年にかけて、500ccクラスで20連勝をマーク。この大記録は、1998年にHondaによって破られるまで、GPの歴史に営々と横たわることとなった。