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(1985年4月) ≡ は列車、〜 は自動車 での移動
明の13陵(定陵)
4月の万里の長城
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特急列車で北京から長春へ(1146km、14時間40分の旅)
雑踏の北京駅 斉斉哈爾(チチハル)行の特急で長春へ
瀋陽(旧奉天)駅 一等車客用の食堂車 一等寝台車の通路にて(客室は4人の個室)
長春(旧新京)の長白山賓館 長春の長白山賓館前の南湖公園
吉林
合作相手の「吉林軽型車廠」の正門と建設中の工場 吉林市近郊の豊満ダム
吉林市近郊の豊満ダム(満州国時代に日本が建設したが1万人もの中国人犠牲者が出た)
吉林の北山公園
吉林の北山公園 吉林の百貨店前の街頭で「焼き芋」を買って
吉林の鹿の飼育場(角は貴重な漢方薬) 吉林の人参園
吉林市博物館の世界最大の隕石(石膏で型をとっていた)・・1976年に落下・1770kg
急行列車で吉林から北京へ(1187km、21時間14分の旅)
「吉林ー北京」の急行列車 錦州駅 万里の長城の始まる「山海関」・・写真には写らなかった
天壇公園
頤和園

 「頤和園」の歴史は古く、12世紀、金代に皇帝の離宮として築かれたのが始まりといわれていますが、その後17世紀以降の清代に、最も大々的な整備がなされました。
 しかし、近代に入ってアヘン戦争などの事変によって破壊され、その後19世紀後半に醇親王による修復がなされました。正式に「頤和園」と命名されたのはこの頃だといわれています。
 さらに20世紀初めには、絶大な権力を握った、かの「西太后」により大規模な修復が行われました。このときの修復経費には莫大な戦費が流用されたそうで、その後の財政危機を招き、清朝滅亡の原因の一つともいわれています。
 この広大な皇帝の庭園は、現在世界遺産にも登録されています。頤和園は万寿山という小高い山とその南側に広がる昆明湖という人工湖で構成されています。万寿山一帯にはたくさんの建物がありますが、この万寿山はなんと昆明湖を作るときに掘り出した土を盛り上げて築山したものだそうです。

天安門広場〜故宮
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